五年後に完全単位制の高校を発足します

五年後を目標として、完全単位制の高校を発足します。

スクーリングなしの高校です。

社会人の方も入れるような学校にしたいと思っています。

 

高校卒業の経験があると、人生がより豊かになるでしょう。

資格を取る基礎学力がついたり、仕事に生かせたり、なによりも、人生に対する感覚が豊かになるでしょう。

生きる力を身につけてもらうための高校を作りたいです。

上はあまり目指していません

他人に上を目指せというのもへんな気がするので、生徒さんが上を目指そうと現状を維持しようとあまり気にしていません。

 

その生徒さんとご家庭のニーズに沿ったことを提供しようと考えています。

 

基本的には、わたしが勉強が大好きだったので、勉強を好きになってほしいな、という意味での洗脳はしています。好きなことをリラックスした状態でするのが一番脳に入りやすいので、それを目指しています。

 

勉強は単純で、初めて目にしたことを理解して、反復練習して、そのあと応用を解いて、新しい問題が出てきてもびっくりしない心境さえつければ点数がとれます。

 

点数がとれればいいなら、別に上を目指せとわたしがあおる必要もないのであおらないです。

 

ただし、勉強をすれば何が起きて、人生にどんな風に有利に働くかは細かくアナウンスします。資格が欲しかったらその資格を取るために、中学生の基礎知識は必要だとか、お金があると自分の欲が満たせるから、仕事には就いた方が良くて、そのためには、学校を卒業すると良いだとか、親子関係で悩んでたら、いい大学入るって口実で家出ればいいから、成績だけあげよう、とかそんな感じです。

 

高校の偏差値一覧も見せますし、どの高校にどういう特色があって、どこの大学に合格実績があるかとかもアナウンスします。

 

そういうことを細かくすると、生徒も欲が出るので、それに沿って、手助けをすると申し出て、一年の間に何をするべきか、スケジュールを立てます。

スケジュールに対して、文句が出ることもあるので、そうすると、じゃあどうしたい?って聞きます。

 

一般的に現状維持だけしたいという子は、やる気がないので、成績が下がります。ただ、勉強自体は面白く説明すれば、新しいことを知ること自体は、たいていの人にとって面白いことなので、すんなり聞いてもらえます。

なので、そこを利用します。

でも、それだけだと成績は上がりません。

さきほど説明したように、反復練習は、やる気の有無にだけ関わってきて、頭の善し悪しはほとんど関係がないです。

 

なので、本当に勉強が苦手な子には、一回、成績が下がることを体験してもらいます(そういうことが必要ではない生徒さんの方が多いです。念のため)。

すると、「塾であれだけ勉強したのに下がってる」と生徒さんは驚きます。

生徒さんにとっては、今まで勉強した経験がないので、塾で週一回勉強しただけでも、だいぶ勉強したに入るのですね。

 

そこで、すかさず、反復練習をひたすらやってもらえると、なかなか良い感じです。

 

上を目指さないわけは、たとえば、中学生でも資格があったり才能があったりして、「これは生活力があるなあ」と思う生徒さんがいる訳です。

最低限の学力はもちろん必要だし、何のために塾に来ているのか考えれば、やることはやりますが、必要以上に怒ったり、煽ったりするのもなんだなーと思うのも事実です。

そういう生徒さんには、そういう生徒さんの世界を大切にして、接すると、わたしの世界(勉強楽しい界)を尊重してくれるので、その温情に甘えて教えさせてもらっている感じです。

一次方程式も一次関数も連立方程式も同じもの

一次方程式と一次関数と連立方程式が同じものだよ、と教えたらきょとんとされました。

ちなみに因数分解も、二次関数のx軸の交点を求める問題だと思えばいいです。

 

勉強が苦手な子にとっては、「なんのためにこれをやるの」の理由がどんな些細なことでもいいから、あれば勉強をやる気になりみたいです。

 

これを教えておくと、文章題で解ける問題が増えたりします。

数学の解き方

宿題を出したとき、「この問題といておいて」と言えば解けるのが学力のある生徒さんです。

やる気があっても、「そもそも問題が読めないからどうしたら良いのかわからない」のが学力のない生徒さんです。

「わからなかったら、答え見ても良いよ」といって、通じないのも特徴です。

数学で大事なのは、解法のパターンを覚えることです(中高生の場合)。

数学の解き方は覚えることができます。解くためにはたくさんの解法のパターンを知っていることが必要です。

わからない問題に関しては、解法がその生徒さんの中にないのですから、ある程度考えてわからなかったら答えを見て、考えて答えを書くのが正当です。

 

わからない問題に遭遇したとき、勉強がある程度得意な生徒さんには「答えを見ながら解いていいよ」と言えば、解けます。

それは、最低限の学力があるからです。

けれど、最低限の学力のない生徒さんに「答え見ながら解いていいよ」といっても、答えの内容が解読できません。

 

答えを見ながら解く理由は、五分以上考えてもわからない問題は、その人の中に「解法」が存在していないからです。それがわからない理由です。

専門的に数学をやるならともかく、中学生の範囲の数学には、ほとんど決まった解法のパターンがあります。それは、キーワードを見て判別することが可能です。

 

それがない、まっさらな状態から問題を解くことは可能ですが、受験生には時間がない場合が多いので、ある程度時間がたったら、答えを見て解き方を知る。知ったら、類題を解いて自分のものにする、という作業が必要です。

 

しかし、基礎学力がない生徒の場合、それが自力ではできません。

わたしは、その場合、答えを見て、解読できるような学力をつけることを優先します。そのためには、「学力をつけなくてはいけないから勉強しよう」ということを説得するところから始まります。説得がすんでから、問題を一緒に声を出して読み、文章であれば、図を書いて、何が書かれているのかを説明します。

それから、今まで習った範囲であったら、それに沿ったヒントを出し、習っていても忘れている分野だったらその説明をします。

その説明の前提が欠けていたら、さらにそれをさかのぼって説明します。「めんどくさい」と言われたら、「めんどくさいといえば、何もかもめんどくさいんだよ。でも、寝たきりになるのが何よりも幸せだというわけでもないでしょ」といって説得します。

 

問題が解読できたら、答えの説明をします。ところどころ、自分でできる部分(説明したところをまとめさせる)などをしてもらいます。

そうして、ようやく、解けなかった問題が解けるようになるのが、基礎学力のない生徒さんです。

 

 

ゆっくり教える

教えるという行為のイメージは、教師が一生懸命話して、生徒がそれを聞くという状態だと思います。

でも、わたしが考える良い授業は、生徒がたくさん話す授業だと思います。

何に興味があって、何が楽しいのか話しているついでに、勉強をする。そのついでに、わからないことを質問することです。

 

わたしがする仕事は、採点と、相づちと、ちょっとした一言です。

まず、一方的に話しても、生徒は聞いていないし、話す速度と理解する速度は、絶対に釣り合わないので、ペラペラ話しても耳に入らないです。

耳に入るのは、例外的に、その人の理解できる言葉に分解するために、言葉数が多くなってしまうときだけです。

わからないことを生徒さんが話したら、それを良く聞きます。

計画の進度と合わなくなっても、質問が優先です。

なぜなら、そこをすっとばすと、そこが穴になるからです。あとから埋め合わせようとしてもすごい手間ひまがかかります。

 

生徒に考えさせる時間を適切に与えること。

順序立てて考えられるように、適切なヒントを与え、「わからないときの考え方」を標準化したものを生徒が身につけられるように後押しすること。

生徒は、わからないと真剣に悩んだ問題は、少なくとも「読んだことがある」程度には覚えているものです。そういう問題が次に出たとき、解けなかったら、生徒さんは悔しがります。そこがチャンスです。

 

どうしても、教える側は、ぎゅうぎゅうつめたくなります。

でも、それでは、頭に入りません。

ゆるく教えることを心がけることが必要です。

しかし、いたずらに悩まないように、適切なヒントを適宜与える(できれば考え方の手助けになるようなヒントであって、答えのヒントになるものではない)ことが大切だと思います。

勉強の仕方について −国語

あんまり語られることのない国語の話をします。

なぜ、語られないのかというと、教えることのできる人が少ないからです。

 

でも大丈夫です。わたしは国語が一番得意です。

 

国語の力を上げると一番恩恵を被るのが数学です。

え?と思うかもしれません。

でも、考えてもみてください。数学の文章問題は、やたらマニアな状況を想像させるものばかりだということを。

それを読み解かなくては、計算にまで持ち込めないのです。

それに、証明問題のことを考えても見てください。あれは、ほとんど作文です。

証明問題がうまく書ける人は、作文も、ちょっとしたこつをつかみさえすれば、うまく書けること間違いなしです。

それに、そもそも、数学とはなんでしょう?

数学とは、英語よりも、さらにグローバルな、しかも、時代を選ばない、誰にでも通用する言語なのです。

数学が言語だということがピンと来ない人もいるかもしれませんが、数学でコミュニケーションを採ることができる以上、数学も言語です。

コンピュータと人間が対話することができるのは、二進法を介してです。

 

さて、余談がすぎました。

 

国語が解けるようになるには、漢字を覚えなくてはなりません。しかし、勉強をする習慣のない子にとって、それは作業になりがちです。埋めればいいものになりがちです。

わたしからすれば、時間を取って、しかも覚えられない方がめんどうくさいと思うのですが、頭を使って覚えようとしながら手を動かす方がめんどくさいらしいのです。これは面白い話です。

 

漢字が読めるようになると、本が読めるようになります。代名詞や指示代名詞、状況がわかるようになりますし、慣用句やことわざも頭に入ります。要はある程度本を読むことが大事です。本は、文字ばかりのものだけではなく、絵本でも良いし、漫画でも良いです。本を読んで、別の世界にトリップできる面白さを感じたら、本は読めるようになります。

 

本を読む以外の点数のあげ方は、国語の問題集を買ってきて、決まった分量をこつこつ解くことが大切になります。

 

たとえば、論説文は、「序論」「本論」「結論」から成り立っている、ということが経験としてわかるようになれば、「この内容をまとめた文章を抜き書きなさい」というような問題も解けるようになります。

 

また、新聞の論説文の要旨を50文字でまとめるなどの練習も有効です。

 

問題作成者の意図を読めるようになるためには、場数を踏むことが重要です。

問題を解くということは、問題作成者とコミュケーションをとる、という経験だからです。

 

国語の勉強のためには、漢字を覚えること、文章を読みなれること、文章を使いこなすための練習をすること、問題を解きなれることが大切です。

勉強の仕方について -数学

理系文系がどうのこうの言うよりも、「その子がどの科目を必要と考えているか」によって、その教科が苦になるか苦にならないかの違いの方が大きいような気がします。

 

「これからの人生には英語が必要だし、役に立つ」と思っている子は英語が得意になり、好きになるので、覚えることが苦になりません。

「数学は面白い、パズルみたい。それに理科が好きだから最低限の計算はできるようになりたい」と思う子は、数学がストレスにならず、数式や問題の形式を覚えることが苦になりません。

 

というわけで、勉強の科目の好き嫌い、得意不得意を決めるのは、その子の興味によると言えます。

そこに大人が介入するとしたら、いかに興味を引くか、説得できるか、にかかってくると言えます。

逆に言うと、できるのはそのくらいで、モチベーションのコントロールの手伝いをするのが関の山です。

…もちろん、実際には、計画を考えたり、アドバイスをしたりすることも大事ですが、成長を見守ることもとても大切だとお話です。

 

ところで、数学を勉強するのが嫌な人がこういうのを聞きました。

「答えが決まっているからつまらない」

「たくさんある」

「文系は覚えるだけだからいい」

「めんどくさい」

一つ一つお答えしましょう。

お気に召さないかもしれませんが、数学の答えは一つとは限らない場合があります。

たとえば、1/0=? 

これはどうなるでしょう。1/0=0と教える学校があるということで炎上した話もありますね…。

どうでしょう?

答えは「不定」です。

不定ということは、どんな数でも当てはまるということです。考え方によっては、0と決めてしまっても不都合がないのでそれで良い、定義してしまえ、という数学のやり方もあります。

余談ですが、マイナス同士のかけ算が+になるのは、そうしても不都合がないので、そういう風に決めてしまえと決めた人がいるからです。有理数もそうです。

 

というわけで、数学の答えは一つとは決まっていません。

数学の答えが一つに決まるのは、そういう風に作ってあるからです。

一意に答えが決まっている数学は楽で良いです。

 

「たくさんある」という言い方は曖昧模糊としていますが、察するに「いろんな問題があるのでその度に考えてられない」ということだと思います。

「文系は覚えるだけでいい」というのも似たような話です。

高校受験の数学では、問題の形はある程度決まっているので、問題集を『拾い解き』ではなく、全部解くことで、だいたいの問題は経験できます。問題を解きなれてくると、「あれ、これと似たような問題解いたことがある」と思えます。

場数を踏めば数学も暗記だということがある程度わかります。

 

数学の好き嫌いは、成績と関係がありません。成績があまり芳しくないところからスタートした子でも、数学だとぱっと目が輝く子もいます。

嫌いでも、数学の小話なら聞いてやってもいいという生徒さんもいます。

そうした小話から一問でも解いてくれれば儲け物です。

 

「めんどくさい」というのは、めんどくさいと言い始めると、「起きるのがめんどくさい」「話すのがめんどくさい」「食べるのがめんどくさい」「動くのがめんどくさい」「何をするのもめんどくさい」となり、「じゃあ、寝たきりが理想なのか」という話になります。実は、わたしは生きるのがめんどくさいです。でも、誰もそれについて答えてはくれません。薄情なことです。そういうことです。

 

数学の勉強の仕方は、つまずいたところからやり直すことが最初です。

まず、解き方を覚える、それを反復する、考えなくてもできるようにする…の繰り返しです。